Piroブログ 私の戦争論 2023/08/23

今から78年前の8月15日は終戦を迎えた日。私はこの日を子供達に伝えていきたい。戦争体験は話すことはできないが、現代においては大東亜戦争が開戦された理由を知るために様々な情報を手に入れ歴史を学ぶことができる。再び戦争をしないためにどうしたらいいか一緒に考えて、それを教えることができる。

私の戦争論。私の戦争論としているが、歴史的事実に基づいているだけなので、あたりまえのことしか書いていない。この歴史的事実から戦争にならないために考えることで平和が守られ、それは国家防衛にも繫がる。

当時、何があって戦争が起きたのか。偏った人達の原因は「軍の強制」「軍部の暴走」「ハル・ノート」「ABCD包囲網」などなど断片的にしか見ていなく、歴史的事実と背景を知らないと、なぜ大東亜戦争が起きてしまったのか、考えることはできないと思う。断片的な見方をすると陰謀論も生まれるので気をつけなければならない。それを利用するのがコミンテルンなどの工作員だ。陰謀論に染まると、それが正しくなり、一次ソースの確認もできなくなる。その一次ソースを確認できなかったのは当時の日本国民だ。この当時の陰謀論(工作活動)として、ソ連は敵国で英米にとっても敵だったのに日本国内はソ連ではなく英米を敵対視していた。若杉要総領事など一部の人はソ連を注視するべきだとしていた人もいたが、ほとんどはソ連を敵対視していなかったし、メディアにおいてもソ連を取り上げなかった。本当に不思議だ。断片的にしか語れない人の話は結果であり、その結果に至るプロセスが大切で、そこに開戦された理由が見える。

日米開戦に至る経緯として日露戦争から歴史を見るとわかりやすい。日米開戦を止められる場面はいくつかあったが止められず走り続けた。その理由に日清戦争(1894~1895年)、日露戦争(1904年~1905年)、第一次世界大戦(1914~1918年)に勝った日本は国民含め浮かれていた。

日露戦争で手に入れた東支鉄道南部支線を米国と開発する予定だったが、すぐに破棄した。この時の協定が桂ハリマン協定(1905年)。この破棄もロシアに勝った勢いがあったのだと思う。日本だけでは勝てなかった戦争なのに勘違いしている。結果として米国は不信感を持つようになった。これから起こることは日本が孤立していく。

張作霖爆殺事件(1928年)、柳条湖事件(1931年)に繋がり石原莞爾による満州事変(1931年)が発生。兵隊の数では圧倒的に負けていた石原莞爾率いる関東軍だったが満州事変では勝利し満州を支配する。日本国内政府は石原莞爾の暴走に困っていたが、日本国民は石原莞爾率いる関東軍、すなわち陸軍はすごいとなり満州事変を正当化してしまった。いずれにせよ南下してくるソ連の脅威に立ち向かうため満洲国建国は防衛ラインを北上させることができた。支那事変勃発(1937年)、第二次世界大戦勃発(1939年)してまもなくドイツはフランスに侵攻しドイツが勝利。日本は日独伊三国同盟(1940年)を結び、北部仏印進駐(1940年)した。結果、援蒋ルートを閉ざし米国を怒らせた。経済制裁に踏み切らなかった米国はここで日本に経済制裁を行う。まずは鉄の禁輸だ。日本は支那事変の長期化により資源が枯渇してきたこともあり資源をもとめた進駐でもあった。

当時、昭和天皇は政治への参加をしていない。政府が決めた事に対して賛成も反対もしていない。ただ、近衛文麿内閣が行ってきた政策への不満、意見はしているが決定を下すことはしていない。日独伊三国同盟、北部仏印進駐は米国を敵にまわすのではないか、結果として経済制裁を受け日本国民の生活は苦しくならないのかと、近衛文麿に伝えたが近衛文麿は問題ないとした。まもなくして独ソが戦争(東部戦線1941年)を始める。ここで日本が決断するのは南部仏印進駐(1941年)であった。南下すると、そこには連合軍が睨みを利かせていた。南下した結果、米国は日本への経済制裁として石油の禁輸を行った。日米交渉(1941年4月~12月)では和平交渉を進めていたが交渉決裂し日米開戦に至る。

日米開戦を止められなかった理由の1つに日米開戦は日本国民の大半は賛成していたことだ。民主主義で言うならば総意であった。なぜ、国民は日米開戦やむなしとなったのか。当時の日本国民が確認できる情報は少なく、新聞は大きな情報源だった。朝日新聞東京日日新聞毎日新聞)、中外商業新報社(日経新聞)は日米開戦を大きく煽り国民は日米開戦に突き進んだ。その背景に経済不安もあり国民が間違えた方向に向いたのも事実。

 

参考

東京日日新聞(1941年12月8日)見出し

『東亜攪乱・英米の敵性極まる』

『隠忍度あり一億の憤激将(まさ)に頂点』

中外商業新報社(1941年12月9日)見出し

『今や妖雲一掃の秋』

『一億国国民に殉ぜよ』

『来たぞ一億進軍の日』

 

日本がなぜ経済制裁をくらうのか、経済制裁をされても突き進む政策。経済制裁を危惧する昭和天皇。それでも日米開戦に突き進んだのは経済状況と国民感情ではないだろうか。

現代においてはインターネットで一次ソースを簡単に確認できる。よって、情報操作による扇動は起きにくいはずだがQアノンのように現代でも嘘の情報操作で信じ込ませてしまうことは可能だ。ロシアがウクライナに対して行った情報操作も含め武力による攻撃だけではなく、情報操作を行う攻撃も行われいる。これは現代においてハイブリッド戦争と言われ私達にも気づかないうちに扇動されている可能性もある。

個人で戦争から守る術を身につけることはできても政府が間違えた政策をすると国民は巻き込まれる。これは当時と今も変わっていないのだと思う。ただ先の大戦で学んだ日本は間違えた選択、間違えた政策はできないはずだ。ただ、他国からの侵攻は巻き込まれるので日本だけが対策しても意味がない。偏った考えだけを持つ人は他国からの侵攻を考えていなかったり、憲法9条が守ってくれるだとか、侵攻されたらやり返せとか、核兵器保有せよとか、極端な考えを聞く。先の大戦から日本が他国から攻撃されなかったのは日米同盟のおかげである。仮にウクライナNATOに加盟していたらロシアはウクライナに侵攻しなかっただろう。

先の大戦で米国が日本に対して行った行為は許されない戦争犯罪である。その憎き米国は今日においては絶対に必要なパートナーだ。原爆、空襲と民間人を殺戮した米国を許してパートナーと言うのか?それは矛盾だ。と、偏った人達に言われそうだが、私の考えもまったくもって同じ。私は矛盾している。矛盾はだめか?私は先の大戦での米国が行った戦争犯罪は許さない、だけど、今は絶対に必要な同盟国だ。この矛盾は日本の平和が守られていいる。「矛」と「盾」があるから日本は平和なのだ。

歴史から学び、戦争にならないために考えることだ。今までは矛盾でも平和が守られたけども中華人民共和国、ロシア、北朝鮮などにより矛盾のバランスが崩れ始めている。私達の平和のために「矛」の強化、「盾」の強化、すなわち防衛強化は日本の平和を守ることで戦争をするわけではない。いつまでも米国を頼れない。米国を頼らず日本だけでも守れる、真の護りを作り、一つ上の日米同盟を続け我々が望む平和を手に入れなければならない。私の戦争論は戦争することではなくて、戦争にならないための学び、それが私の戦争論。私が子供達に伝えたい戦争とは。

戦争はよくないよね。戦争は怖い。戦争反対。こんな簡単なことを子供達には教えたくない。戦争にならないためには?を考える子供達であってほしい。 了