Piroと歩む歴史 ~2020年3月~ 7回目

7)2020年3月(38歳)

 このブログでは1984年あたりの話をしているが今回は現在(2020年2月22日)を通り越して2020年3月14日の出来事を書いてみたい。2011年3月11日から9年と3日経過した2020年3月14日常磐線が全線復旧、運転再開した。元々、上野駅~仙台駅間を結ぶ路線だが2011年3月11日に発生した東日本大震災において福島第一原子力発電所の事故により富岡駅~浪江駅間約20.8Kmが不通になっていた。

 JR東日本リテールネットが販売している常磐線再開記念品に書いてある「もうすぐ。」というフレーズを見た瞬間に涙が溢れてしまった。2011年6月と7月に福島県いわき市に訪問した時のことを思い出したこともあり思わず涙が出たのかもしれない。訪問した内容は一部の人にしか話しておらず10年経ってからSNSあたりで公開しようと思ったのだが、常磐線が運転再開する日に公開しようと決めた。

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 2011年3月11日、東日本大震災の時は東京で仕事しており京浜東北線車内にいた。品川駅で降ろされ帰宅難民になった。会社の人に車で迎えに来てもらい品川から上野方面に走ること約6時間。日が変わった頃、帰社。社有車で帰宅し家に着いたのは朝6時過ぎで約6時間かかり合計12時間かかった。車であれば品川から自宅まで1時間半もあれば帰れる場所だ。私は常磐線沿線に住んでおり常磐線が全線繋がっていないことは常に知っていた。乗り換え案内アプリを使うと一部不通のお知らせと表示されていたので忘れることはなかった。

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 仕事でも東日本大震災の対応に追われていたが落ち着いた頃に思ったことがあり長靴、着替え、タオルなどを車に積み常磐道に乗り、いわきに向けて走らせた。2011年6月21日のこと。何かできることがないかと思いボランティアに行こうと思い立ちすぐに行動した。その時にお手伝いで訪問した自宅のお父さんと話したことは今でも覚えており逆に勇気をもらってしまった。その時のことは今でも忘れていない。そのためか、「もうすぐ。」というフレーズを見たときに涙が出たのかもしれない。その時の話は次回のブログに書き残す。