Piroと歩む歴史 ~2011年6月~ 8回目

8)2011年6月(29歳)

 前回のブログからの続き、2011年6月と7月にボランティアをするためにいわき市に向かう。その時に訪問した自宅のお父さんと話したことは今でも忘れていない。逆に勇気をもらったのだから。

 

 なぜボランティアに行こうと決めたのかは覚えていない。ただ何かしたい、力になりたいと思い、いわき市のボランティアセンターに向かった。ボランティア登録を済ませ1日保険に入り訪問先が決まる。訪問する即席メンバーは6人だった。訪問先は農家でお父さんが1人で待っていた。たしか奥さんは避難所でお子さんは独立しておりいわき市にはいなかったはず。津波で家は飲まれたが周囲の家に比べたら建物は残っているが、海水に浸かった家は住める状況ではなかった。家に泥も入り、お父さん1人で片づけることが難しいためボランティアを依頼したとのことだった。迎え入れてくれたお父さんは常に笑顔だった。

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左から3番目が私。右から2番目がお父さん。

 震災当日、津波が来た時の状況を教えてもらった。

津波から逃げるために高台に逃げる。家の周りは高齢者が多く早く逃げることができないため逃げている途中に津波に襲われる。車で逃げる人もいたが車ごと津波に飲まれる。お父さんの家の前の方は高齢で足が不自由だった。その方の奥さんに「置いて逃げろ」と伝えたそうだ。その後、家で寝た状態で遺体として見つかった。町は自衛隊などが救助をする際にトリアージをした後が残っていた。遺体があった場所には「×」がつけられており電柱、車、家の壁などに「×」が書かれており胸が苦しくなった。

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 お父さんは、この話を笑顔で話していたことに私は驚いた。なぜ、笑顔なのか聞いたところ「いつまでも過去を引きずってはならない、前を見て進まなければならない。だから笑う。」とのことだった。私はこの言葉を聞いて勇気をもらった。この時からかもしれないが私の考え方が変わり何事にも挫けない強い気持ちを持てるようになった。

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お父さんの笑顔は素敵

 前回のブログに記載したが2020年3月14日に常磐線は全線復旧する。途切れていた線が再び繋がり復興に向けて新たなスタートが切られた。私も新たな気持ちで「前を見て進みたい」と思ったので誰にも言わなかったボランティアの時の話を常磐線が復旧する今年ブログに残すことにした。