Piroと歩む歴史 ~1984年3月~ 4回目

4)1984年3月(2歳)

 2歳になったPiroは京都に住んでおりお菓子も好きだった可愛い男の子。当時、住んでいたマンションでは自殺があり警察が家に来て母に色々聞いたそうだ。何世帯もある大きいマンション1世帯ずつ全て聞いていたそうだ。もちろん当時の記憶はない。警察は事件事故の両面で捜査する。事件の場合は犯人を捕まえるための労力には頭が下がる思いだ。警察が捜査しても解決できなかった事件の1つに「グリコ・森永事件」がある。

 

 1984年3月、江崎グリコ社長江崎勝久氏の誘拐事件が発生。この事件を皮切りに「かい人21面相」を名乗る犯行グループが複数の食品会社に脅迫。「どくいり きけん たべたら しぬで」と脅し青酸ソーダ入り菓子をばら撒き国民をパニックにさせた。事件は時効になり未解決事件となった。産経新聞1997年7月4日付朝刊や週刊文春北朝鮮工作員関係者のグループが犯人ではないかという報道された。この件に関して調べてみたところ事件とは別の事実を知った。

 

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北朝鮮との関係は不明

  「グリコ・森永事件」の犯人として疑われた1人。兵庫県の貿易会社社長が北朝鮮の非合法活動グループの黒幕で、仲間にキツネ目の男がおり、江崎グリコ社長江崎勝久氏を恨む北朝鮮工作員との証言がある考古学者もグループに属していた。当時は1970年~1980年にかけて北朝鮮拉致事件も多く発生しており疑いの目を向けられたのも事実だろう。捜査をした結果、事件とは関係なく操作は打ち切られた。正直、私もこれ以上の事実は調べることができなかった。

 

 しかし、これらを調べていてわかったことは在日朝鮮系と思われる人が日本国内から北朝鮮に対して不正輸出を多くしていた。過去に神戸市の貿易会社「東亜技術工業」の社長金基敏が黒幕で北朝鮮サリンの原材料にもなるフッ化水素とフッ化ナトリウムを不正輸出していたのだ。そして、この金基敏は朝鮮総連の元幹部(兵庫朝鮮学園理事)だった。この事件以外にも様々な不正輸出があり驚いた。

 

 「グリコ・森永事件」の犯人は北朝鮮工作員かは不明だが、少なからず関係しているかもしれない。