Piroと歩む歴史 ~1983年1月~ 3回目

3)1983年1月(10ヶ月)

 あけましておめでとうございます。年が明けて1983年1月、Piro初めてのお正月。もちろん記憶はございません。想像するに可愛かったPiroは楽しい正月を過ごしていたのだろう。そんな楽しい1月のはずが1982年に起きた「教科書誤報事件」に関して進展があった。「教科書誤報事件」の詳細は前回のブログ(https://piro-blog.hatenablog.com/)を参照にしてほしい。

 

 1983年1月、当時の総理大臣中曽根康弘氏が現役総理大臣として初めて韓国に訪問し全斗煥 (チョン・ドファン)大統領と会談を行い40憶ドルの経済支援を行う約束をした。当時は1ドル240円、円換算で約1兆円の経済支援だ。

 

教科書誤報事件」を問題視した韓国に対して1982年11月まで総理大臣をしていた鈴木善幸氏が謝罪することを決めた。閣内では小川平二文相が拒否を唱えたが、宮沢喜一官房長官が謝罪を主導。これが韓国内では全斗煥大統領の功績となり、今後も何かと媚びる原因の1つになった。経済支援した金額は40億ドルだが請求してきたのは100億ドルだったそうだ。

 

 そもそもマスコミの誤報から始まったことが謝罪と経済支援という名の慰謝料40億ドルを支払うはめになった。謝罪を選択した鈴木氏、宮沢氏、中曽根氏は間違えた選択をした。中曽根氏の最大の失敗は全斗煥大統領を国賓として招き、宮中晩餐会昭和天皇が「今世紀の一時期において両国の間に不幸な過去が存在したことはまことに遺憾であり、繰り返されてはならない」とお言葉を述べる場を作ったことだ。

 

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時事通信からの引用

 

参考

韓国の天皇謝罪要求と経済・歴史問題の一体化招いた首相の名

https://www.zakzak.co.jp/soc/news/190913/for1909130001-n2.html

 

日韓関係の悪化を喜んでいるのは誰か? 西岡力

https://www.sankei.com/politics/news/150720/plt1507200021-n11.html